日本のテレビ放送に尽力、アナロ熊さん死去 58歳 これは嘘ニュースです
アナロ熊さんは1953年2月に誕生。以来58年間にわたり、八木・宇田アンテナによる全国での安定した放送波受信に貢献した。また高度経済成長期、テレビは車やクーラーと並んで「3C」と称されたことからも、当時のアナロ熊さんに対する憧れが見てとれる。
だが2003年、地上デジタル放送がスタートすると、アナロ熊さんに対する関心は急激に冷え込む。
「もうアナロ熊の時代は終わった」というフレーズとともに、テレビ各局や総務省が官民あげてアナロ熊さんの排除を呼びかけるようになった。この宣伝は年を追うごとに過熱し、昨今はニュースなどでも「地デジの普及率」という言葉によって、暗にアナロ熊さんの排除熱が高まっていることを全国に知らしめた。アナロ熊さんは晩年「私が消えるのは時代の宿命。老害と罵(ののし)られても、それが日本のテレビの新時代を築くのであれば、何も弁解せず全てを甘んじて受け入れる」と周囲に話していたという。
24日正午に行われた「地上デジタル完全移行」を祝うセレモニーには、地上デジタル普及に貢献した著名人ほか、アナロ熊さんに代わるマスコットキャラクターとして8年間活動してきた地デジカさんが出席。アナログ放送終了のカウントダウンとともに、華々しく新時代の幕開けを祝った。
同日正午、都内にある自宅アパートで式典の様子を見守っていたアナロ熊さんは、待機していた医師からの薬物投与によって安楽死を迎えた。その場に居合わせた関係者の証言によると、アナロ熊さんは抵抗するそぶりなどは全くなく、「今までどうもありがとう」とだけつぶやくと、最期は静かに息を引き取ったという。
葬儀は「私なんかにそのような配慮は無用」というアナロ熊さんの生前の意志を尊重して行われない。また「消え去る者を偲ばず、これからのテレビ新時代に目を向けてほしい」とのことから、墓や記念碑なども作られない。